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広島カープ→巨人 キムタクさん急逝から10年…

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広島カープ→巨人 キムタクさん急逝から10年…

【巨人】キムタクさん、個人より巨人を体現…急逝から10年

4/8(水) 6:00配信

スポーツ報知

 巨人の1軍内野守備走塁コーチだった木村拓也さんがくも膜下出血で亡くなってから7日で丸10年となった。現役最終年の09年に緊急捕手として10年ぶりにマスクをかぶったキムタクさんの自己犠牲、全力プレーの精神は着実にチームに受け継がれている。当時を知る巨人担当サブキャップ・片岡優帆記者が「見た」。

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あの日の衝撃は鮮明に覚えている。2010年4月2日の広島戦(マツダ)。試合前練習のグラウンド取材を終え、記者席に戻った直後だった。木村コーチがシートノックを打っている途中に崩れ落ちた。意識不明で救急搬送。5日後、37歳の若さで亡くなった。

私が巨人担当1年目の09年は主にファームを取材していた。この年が現役最終年となる木村さんは7月、打撃不振で06年の移籍後初の2軍落ち。この時の姿が忘れられない。G球場で1年目の大田泰示らと一緒になって泥まみれの猛特訓。「若い選手が頑張っているのに手を抜くわけにいかない」と日が暮れるまでノック、打撃で汗を流した。

すぐに1軍に再昇格を果たし、9月4日のヤクルト戦(東京D)で伝説が生まれた。11回に加藤健が頭部死球で交代して残りの捕手ゼロに。同点の12回に二塁から捕手に入った。10年ぶりの緊急マスクは自己犠牲の象徴的なシーンだった。

内、外野守る究極のユーティリティープレーヤーだったが「スタメンに対するこだわりがなくなったら野球をやめるしかないよ」と話していたのも印象的だ。最後までレギュラーを目指して猛練習していた。その上で途中出場ならチームのために役割を全うする。原監督が求める「個人より巨人」を体現した。近年の巨人では寺内、増田大が捕手の準備をするなど、思いは受け継がれている。

木村さんが広島の病院で亡くなった10年4月7日、阪神戦(甲子園)で中堅手でダイビングキャッチで勝利に貢献したのが現在の松本哲也2軍外野守備走塁コーチ。「タクさんのような全力プレーを」と継承し「木村コーチ」と同じ背番号「84」で若手に経験を伝えている。(片岡 優帆)

報知新聞社

出典:スポーツ報知

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